「真の指導者とは、人々の欲望をなだめる者ではなく、人類の良心を目覚めさせる者だ。」
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質素な生活ぶりから「世界で一番貧しい大統領」とも呼ばれてきた南米ウルグアイのホセ・ムヒカ、元大統領が2025年5月13日に亡くなりました。89歳でした。
ホセ・アルベルト・ムヒカ・コルダノは、ウルグアイの政治家。2009年11月にウルグアイ大統領選挙に当選し、2010年3月1日より2015年2月末まで、同国の第40代大統領。
リオ会議に招待いただいた、ブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が、必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志を、ここで表現しているのだと思います。
しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。午後から、ずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困を、なくすことでした。
私たちの本音は、何なのでしょうか?
現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?
質問をさせてください。ドイツ人が、一世帯で持つ車と同じ数の車を、インド人が持てば、この惑星はどうなるのでしょうか。息するための酸素が、どれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が、持つ同じ傲慢な消費を世界の70億から80億人の人が、できるほどの原料が、この地球にあるのでしょうか?
可能ですか?
それとも別の議論を、しなければならないのでしょうか?
なぜ私たちは、このような社会を作ってしまったのですか?
マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが、間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済が、マーケット社会を造り、このグローバリゼーションが、世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。
私たちが、グローバリゼーションをコントロールしていますか?
あるいはグローバリゼーションが、私たちをコントロールしているのではないでしょうか?このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論は、できるのでしょうか?
どこまでが仲間でどこからが、ライバルなのですか?
このようなことを言うのは、このイベントの重要性を批判するためのものではありません。
その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は、環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。
現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは、発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるために、この地球にやってきたのです。人生は、短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。
ハイパー消費が、世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。
消費が、社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けが、みんなの前に現れるのです。このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!
そんな長く持つ電球は、マーケットに良くないので作ってはいけないのです。
人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのに、お気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は、世界を導かなければなりません。
石器時代に戻れとは言っていません。マーケットを、またコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。
昔の賢明な方々、エピクロス、セネカやアイマラ民族まで、こんなことを言っています「貧乏なひと、とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」 これは、この議論にとって文化的なキーポイントだと思います。
国の代表者として、リオ会議の決議や会合にそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には、耳が痛くなるような言葉が結構あると思いますが、みなさんには、水源危機と環境危機が問題源でないことを分かって欲しいのです。
根本的な問題は、私たちが、実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは、私たちの生活スタイルだということ。私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。
私の国には、300万人ほどの国民しかいません。でも、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛が、私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。
私の国は、食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは、別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか?
バイク、車、などのリボ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか、私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。そして自分にこんな質問を投げかけます。これが人類の運命なのか?
私の言っていることは、とてもシンプルなものですよ。発展は、幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は、人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。
愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。
これらをもたらすべきなのです。幸福が、私たちのもっとも大切なものだからです。
環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素で、あるということを覚えておかなくてはなりません。