突然、再び印旛沼のほとりにある千葉県印西市の双子公園に現われた?公園内にあるトイレの外壁に二足歩行する猿が相手の攻撃から自分の身を守るため右手にバナナを握りしめ、それを武器にしたてて相手に怪我を負わせるない気配りで防御しているようにも見える?
ロンドンのオークションハウス「サザビーズ」での出来事だった。バンクシーの絵「風船と少女」が、2人の電話入札者の競争の末、事前予想の3倍に当たる104万2000ポンド(約1億5500万円)で落札された。これは、過去のバンクシー作品の最高落札額と並ぶ額だった。
落札された「風船と少女」は、赤いハート型の風船が少女の手を離れていく姿を描いたもの。バンクシーの代表作の一つとして知られ、2002年にロンドンの街中に描かれたのが最初と言われている。
今回、落札された絵は、2006年にバンクシーから現所有者が購入したものだったという。オークションでは、「風船と少女」を競売人がハンマーを叩いて落札が決定するのと同時に、会場にアラーム音が鳴り響いた。
額縁に仕込まれていたシュレッダーが起動し、「風船を持った少女」の下半分が裁断された。
イギリス東部の街に突如出現したバンクシー(Banksy)のグラフィティ。
内容は移民問題への抗議であったが、このグラフィティを巡る反対派や行政の動きが現地で話題になった。
ロンドンで暮らしているとエリアを問わず、様々な場所でバンクシーが描いたグラフィティを見つけることができる。
彼のグラフィティを探し求めて歩き回るなんてことをしなくても、何かの拍子でふらっといつもと違う道を歩いたときに、どこかで見たことがあるイラストに出くわして、彼の描いたものだったなんてことが月に何度か起こるのだ。
それくらいロンドンの街にバンクシー(の作品)は浸透している。またそうやって街中で見つけられる作品の中には、強化ガラスでカバーが取り付けられているものもあるというのが現状だ。
街として彼の作品を維持していくという意志が感じられ、ストリートアートにある程度寛容なロンドン(特にイースト・ロンドン)でも、バンクシーは別格の待遇を受けていると言える。
昨今のグラフィティは以前とは違った意味合いを持つようになっている。
もともとはヒップホップの4本柱(ラップ、DJ、ブレイクダンス、グラフィティ)の一つとして始まり、NYのハーレムの列車に描かれていたものが、今では「アートとは何か」というようなことを語る上で必ず取り上げられる事象になり、評論家たちがグラフィティについて知的に語る光景もちっとも珍しくない。
イギリス国内では、パレスチナ問題、消費者主義などバンクシーが世の中に警鐘を鳴らすようなテーマに作品を描いたときに、それ自体がニュースになることが多い。バンクシーが、移民問題をテーマにした新しいグラフィティを描いた。
世界中を舞台に活動している匿名の芸術家、バンクシーが千葉で描いたものなのか謎が深まる一方。千葉県道65号線沿いで目立つ場所で誰も名画の描く現場を確認した者はいない。
そもそも、謎だらけのバンクシーとは一体どんな人物なのか?バンクシーは、イギリスを基盤にして活動している匿名の芸術家、公共物破壊者(ヴァンダリスト)、政治活動家だ。
現在は世界中を舞台にして神出鬼没を繰り返しながら活動することが多い。ほかに映画制作もしている。ステンシル(型板)を使用した独特なグラフィティ絵画と絵画に添えられるエピグラムは、ダークユーモア的で風刺性が高い。
バンクシーの作品は、芸術家と音楽家のコラボレーションが活発なイギリス西部の港湾都市ブリストルのアンダーグラウンド・シーンで育まれた。
そのスタイルは、ステンシル作品の父として知られるフランスの芸術家ブレック・ル・ラットや、マッシヴ・アタックのロバート・デル・ナジャ(3D)の絵描き時代の作品とよく似ている。
バンクシー自身ものちに音楽グループ「マッシヴ・アタック」の創設者となった3Dやブレック・ル・ラットから影響を受けていると話している。
バンクシーは、自身の作品を、街の壁や自作の小道具的なオブジェなどだれでも閲覧できる公共空間に展示することが多く、ギャラリーや屋内で展示することは少ない。
また、バンクシー自身がストリート・アートの複製物や写真作品を販売することはないが、アート・オークション関係者はさまざまな場所に描かれた彼のストリート・アートの販売を試みている。バンクシーの最初の映画「イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ」は、「世界で最初のストリートアートパニック映画」とキャッチをうたれ、2010年のサンダンス映画祭で公開された。
2011年1月、バンクシーは、この映画でアカデミー長編ドキュメンタリー映画賞にノミネートされた。2014年バンクシーは「2014年ウェビー賞」を受賞した。バンクシー個人情報は明らかにされていない。バンクシーの名前やアイデンティティは公表されておらず、飛び交っている個人情報はあくまで憶測である。
2003年に「ガーディアン」紙のサイモン・ハッテンストーンが行ったインタビューによれば、バンクシーは、白人、28歳、ぎっしりしたカジュアル服、ジーンズ、Tシャツ、銀歯、銀のチェーンとイヤリング。
バンクシーは、ストリートにおけるジミー・ネイルとマイク・スキナーを混じり合わせたような感じだ」と話している。
バンクシーは、14歳から芸術活動をはじめ、学校を追い出され、軽犯罪で何度か刑務所に入っている。ハッテンストーンによれば「グラフィティは行為は違法のため匿名にする必要があった」と話している。
1990年代後半から約10年間、バンクシーは、ブリストルのイーストン地区の家に住んでいた。その後、2000年ごろにロンドンへ移ったという。
何度かバンクシーと仕事をしたことのある写真家のマーク・シモンズは以下のように話している。
ごく普通のワーキングクラスのやつだった。
バンクシーの本名はロビン・ガニンガム。1973年7月28日にブリストルから19km離れたヤーテで生まれた。
ガニンガムの仲間や以前通っていたブリストル大聖堂合唱団のクラスメートがこの噂の真相について裏付けており、2016年に、バンクシー作品の出現率とガニンガムの知られた行動には相関性があることが調査でわかった。
2014年10月にはバンクシーが逮捕され、彼の正体が明らかになったというネットデマが流れた。
ブラッド・ピットは、バンクシーの匿名性について「彼は、これだけ大きな事をしでかしているのに、いまだ匿名のままなんだ。」と語っていた。