100%ド迫力・大相撲力士の栄町夏朝稽古

朝稽古

大相撲の各部屋では、8月に夏合宿を日本の各地で行うことが恒例となっている。
地元の千葉県印旛郡栄町出身の力士「舛乃山」が所属する、千賀ノ浦部屋の夏合宿が栄町の「安食台ふれあい公園」で行われた。

栄町大相撲夏合宿
ホテル日航成田では宿泊の客が、朝稽古風景を見学できるよう専用の無料送迎バスを期間中、毎朝運行。
合宿期間中は朝稽古に加え、慰問や相撲教室など様々なイベントが催された。

桝乃山のぼり

参加力士は、貴健斗、舛乃山、舛東欧、太一山、貴天秀、優力、若青雲、貴大将、貴正樹、若洸闘の他、式秀部屋からの5力士の参加もあって大賑わい。
同広場には屋外の特設土俵が設置され、初日から多くの地元ファンが見学に訪れた。

股割りの準備運動

土俵作りにあたっては、タイミング良く両国国技館の土俵の土の入れ替え時期で、残土を栄町で譲り受けて両国からトラックで運び、その土を土俵作りに使った。

円の周りの勝負俵や、その円の東西南北4ヶ所の徳俵は、腐るため定期的に土の入れ替えが必要。
土俵作りにあたっては、タイミング良く両国国技館の土俵の土の入れ替え時期で、残土を栄町で譲り受けて両国からトラックで運び、その土を土俵作りに使った。

土俵の土は、元々、国技館近くを流れる荒川流域の東京都内でも採れたが、現在の両国国技館では埼玉県川越市で採取された土が使われている。粘性が高く、砂が適度(30%程度)混じっていて滑りにくく、ヒビが入りにくく、大きな砂利やゴミの混入がないものが選ばれている。総重量はおよそ45トン。
土俵の土の影響で戦況が変わったり、力士を怪我から守る上で、力士にとって土俵の土は重要で神聖な戦いの場とされている。

千賀ノ浦親方

朝稽古

稽古は、ド迫力で、激しいぶつかり合いで鼻血を出す力士もいた。夏合宿では訪日外国人の客はもちろん、日本人でもなかなか見る機会のない大相撲の朝稽古を近くで見られる。稽古終了後、力士による「ちゃんこ鍋」の無料の振る舞いがあった。

ちびっこ相撲

1989年(平成元年)7月場所限りで引退して春日野部屋の部屋付き親方となっていた年寄・19代千賀ノ浦(元関脇・舛田山)が、2004年9月27日に春日野部屋から分家独立して千賀ノ浦部屋を創設した。
独立に際しては、拓殖大学の後輩である幕内力士の栃乃洋を内弟子として引き連れる予定であったが、年寄株の譲渡の問題で話がまとまらずに栃乃洋は春日野部屋に留まることになった。
同じ拓殖大学の後輩である幕下・栃の山(現・世話人)は、この時に千賀ノ浦部屋へ移籍。2010年11月場所に舛乃山が新十両へ昇進し、部屋史上初となる関取が誕生した。

2016年4月10日に19代が定年退職を迎えるため、同年3月中旬から部屋の後継者擁立を進めていたものの、所属する出羽海一門内からの後継は13代稲川を含め実現せず、同一門内の他の部屋との合併も条件的に折り合わなかった。
そこで19代は貴乃花一門に所属する貴乃花部屋の部屋付き親方である15代常盤山(元小結・隆三杉)に対して千賀ノ浦部屋の師匠に就任することを要請、常盤山はこれを了承し、同年4月8日付で19代と名跡を交換、20代千賀ノ浦を襲名して部屋を継承。

19代は16代常盤山を襲名して部屋付き親方となり、定年退職後は日本相撲協会の再雇用制度を利用して引き続き協会及び部屋に残っている。
またこの部屋継承により千賀ノ浦部屋は出羽海一門から貴乃花一門へ移籍した。部屋継承後の2016年5月8日に、部屋付き親方だった13代稲川が出羽海一門の木瀬部屋へ移籍した。
しかし2018年6月に貴乃花親方が一門を離脱した事により、貴乃花一門が消滅。同年7月に日本相撲協会は全ての部屋は必ず一門に属さねばならないとの決定をしたため、9月21日に同じ旧貴乃花一門の阿武松部屋と大嶽部屋、時津風一門を離脱して無所属となっていた湊部屋と錣山部屋とともに二所ノ関一門に加入を申請し、認められた。
2018年10月1日、貴乃花親方の日本相撲協会退職に伴い、貴乃花部屋から貴景勝や貴ノ岩をはじめとする力士及び、床山、世話人の計10人を受け入れ、2018年11月場所終了時点では関取4人を含む所属力士17人という中規模な部屋となった。

2018年11月場所において、小結の貴景勝が部屋の力士として初めて幕内最高優勝を果たした。
2018年12月、幕内・貴ノ岩が同年の冬巡業中に暴行問題を起こしたことが報道され、引責により引退した。
なお、20代千賀ノ浦は監督責任を問われ、相撲協会より譴責処分を受けた。2019年3月場所後の番付編成会議において、貴景勝の大関昇進が決定した。




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